【諸葛亮】天才すぎたのが原因!?実は多くの失敗を経験した天才軍師。
どうも、ノスケです。
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
せっかく勉強したのに身につかない
という最悪な未来になるかもしれません
このブログでは
世界史をプラスイメージ
で勉強できるように
世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
三国時代の天才的な人物と言えば
諸葛亮と思い浮かべる人が
多いと思います。
しかし、そんな諸葛亮にも
失敗を多く経験しているのは
ご存知ですか?
実は蜀が滅亡したのは
諸葛亮のせいなのではないか?
という主張の方もいるぐらいです。
今回は【諸葛亮の失敗】について
取り上げて紹介していきます!
まず諸葛亮とは
本名より字の孔明の方が有名。
蜀を領有して天下を三分しました。
劉備が死んだ後、息子の補佐をし、
魏と戦うが五丈原の陣中で没しました。
そんな諸葛亮がした失敗その1
なんでも自分でやろう
としたこと失敗
諸葛亮はあまりにも有能過ぎて、
何事も自分でやった方が
効率よく仕事をこなすことが出来ます。
しかも、それだけではなく
諸葛亮は人に仕事を任せることが
出来ない性格だったのです。
そのことが原因で
諸葛亮は多忙を極めていました。
実は死因は過労死だったとも
言われています。
諸葛亮がもっと人に仕事を
任せていれば蜀の運命は
変わっていたかもしれません。
失敗その2
人材育成の面でも失敗
先程も紹介した通り、
諸葛亮は人に仕事を
任せることが出来ない性格です。
そのため多くの仕事を兼任し、
他の人に仕事を割り振ることが
できませんでした。
その結果、
他の人は経験を積むことが出来ず
成長する機会が奪われてしまい、
スムーズに人材育成を行えませんでした。
諸葛亮なら
自分が亡くなった後どうなるのか
予想がついたはずです。
自分の死後のために、
人材育成や後継者育成を
するべきでした。
そういった意味で
諸葛亮の失敗は
人材育成や後継者育成を
できなかったことと言えます。
まとめると
諸葛亮の失敗は
有能過ぎるがゆえ、過労で命を削り
他人に仕事を降らなかったので、
人材育成が上手くいかなかったことです。
今回は諸葛亮の失敗について
取り上げてみました。
諸葛亮は「天才」という
イメージがありますが、
意外にも多くの失敗しています。
このことから
何か失敗したとしても
諸葛亮でも失敗したんだからと思い
ポジティブになることが出来ます!
今からできることとして
世界史の天才と呼ばれている
人物の過去を調べてみることです。
どんな偉人でも失敗を
経験しているし
苦労もしていると思います。
調べてみることで
意外な事実を知ったり
気づきを得たりすることが出来ます。
そんな自分で調べた
気づいたことや
意外な事実は
忘れにくいと思います。
このことを一つ一つ
積み重ねることで
テストの高得点を
取ることができます!
ぜひこの方法を
試してみてください!
では!
アヘン戦争
どうも!ノスケです。
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
せっかく勉強したのに身につかない
という最悪な未来になるかもしれません
このブログでは
世界史をプラスイメージ
で勉強できるように
世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
今回は【アヘン戦争】について
紹介していきます。
アヘン戦争とは
1840年から1842年まで
イギリスと清の間で
起こった戦争のことです。
まず名前の由来である
アヘンとはケシの実から
採取される果汁を乾燥させたもので
麻薬の1種です。
アヘンの乱用は
精神的、身体的依存性を生じやすい。
常用すると慢性中毒症状を起こし
脱力感、倦怠感を感じるようになり
やがては精神錯乱を
伴う衰弱状態に至ります。
https://www.pref.shizuoka.jp/police/kurashi/higai/yakubutsu/about/heroin.html
シンプル恐ろしい麻薬ですね...
このアヘンが原因で
なぜ戦争が起きたのかを
順を追ってお話していきます。
戦争開始前
清は広州のみを貿易港として
公行(こほん)とよばれる
特権商人のみに貿易を扱わせていました。
そのことから
イギリスは思うように
利益を上げられていませんでした。
そこでイギリスは
この貿易の赤字を解消するため
植民地であるインドに
アヘンを製造させます。
そして、
インドで製造した麻薬アヘンを
清に密輸出したのです。
これにより
清ではアヘン患者が急増!
アヘンの代金として大量の銀が
イギリスに流出します。
銀が大量に流出することで
銀の価格は高騰!
その結果
清の各地で銀が不足し
銀を通貨の基本としていた
清国経済は混乱に陥ります。
そのため清は
アヘンの取り締まりを強化し
イギリス商人が持ち込むアヘンを
廃棄しました。
イギリスはこれに激怒
アヘン戦争が起きました。
戦争はイギリスの圧勝で
戦後に結ばれた南京条約で
イギリスは香港島を獲得。
それだけでなく
治外法権の獲得や
清に関税自主権を放棄させる
といった成果を得ました。
まとめると、
イギリスが貿易赤字を解消するため
密輸をする。
清から大量の銀がイギリスへ流出する。
アヘン患者が急増した
清はイギリス商人のアヘンを破棄し
怒ったイギリスがアヘン戦争を起こす。
というのが
アヘン戦争の大まかな流れです。
今からできることとしては、
アヘン戦争の内容を
ノートに書き出すか
誰かに話すことです。
話したり書いたりすることで
自分がどれだけ理解しているか
確認することが出来ます!
学んだことを
一つ一つ自分の中に
落とし込んでいくことで
必ずテストで
高得点をとることが
出来ると思います!
ぜひこの方法を
試してみてください。
では!
紅茶を海に投げつけろ! コーヒーがアメリカで飲まれるようなった事件とは?
どうも、ノスケです!
世界史の勉強をするのがストレス。
やってもやっても点数が上がらない。
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
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という最悪な未来になるかもしれません
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で勉強できるように
世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
今回はアメリカがイギリスから
独立する戦争のきっかけとなった
【ボストン茶会事件】について
紹介していきます。
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Boston_Tea_Party_Currier_colored.jpg
ボストン茶会事件とは
イギリス本国の植民地政策に
反発したアメリカ植民地が
紅茶箱をボストン湾に投棄した事件のこと。
英語で
(Boston Tea Party)
といいます。
『今夜、ボストン港を
ティーポットに!』
という名前の元になっているんですね。
この事件の原因について
順を追ってお話していきます。
ことの発端は
イギリスがフランスとの戦争で
お金がなくなったため
植民地に課税していったことです。
イギリスは色んな課税を
していきました。
砂糖の他、ワイン、コーヒー、衣類
新聞、パンフレットなどの印刷物etc.....
これらの課税は
商人達や植民地の人々の
反発により撤廃されます。
そして1767年タウンゼンド諸法では
ガラス、鉛、ペンキ、紙、紅茶など
日常品に課税しました。
こちらも1770年に起きた
ボストン虐殺事件によって
撤廃されましたが全部ではなく
紅茶の高い課税だけは残りました。
当時、紅茶は植民地の人々にも
浸透しており、大人気でした。
だから紅茶の税金が高いままなのに
納得が行きません。
そこで、
オランダ商人の密輸茶が
広まりイギリスの紅茶を
買わなくなります。
高いのは買いたくないですからね...。
そしてこの時期
『代表なくして課税なし』
という言葉がありました。
訳:自分たちの代表がいない議会が
決めた課税に従うことはない。
植民地の人は
イギリスの議会に
自分たちの代表を
送る権利がなかったんですね。
権利がないんだから、義務もない。
こんなふうに思っていたので
高い課税に不満が強くなります。
そんな中
イギリスは1773年茶法を制定しました。
イギリス東インド会社に
植民地への
紅茶の独占販売権を
与えるというものです。
イギリス東インド会社は
紅茶の在庫が大量に
余っていたため。
紅茶を安く販売できました。
紅茶を安く買えるなら
いいじゃん!と思いますが、
そんな単純なことではなく
これはオランダの密輸業者に
廃業を迫るものでした。
密貿易で生活をしている人に
とって特定の会社に特権を与えられる
この法は面白くありません。
これをきっかけに全ての
貿易を独占されてしまうのでは?
課税権を認めてしまうことになるのでは?
とイギリスへの反対運動が起こります!
そして起こったのが
という訳ですね。
その後
イギリスは報復に植民地に
過度な抑圧をします。
植民地はというと
団結が強まり、
アメリカ独立戦争に繋がっていきます。
ボストン茶会事件をきっかけに
密輸するくらい紅茶が大好きだった
アメリカは紅茶を
ボイコットするようになります。
だからアメリカでは今、
コーヒーが主流なんですね。
まとめると
イギリスが戦争に勝利
資金集めに課税をする
イギリス東インド会社に
融通した茶法に怒り
ボストン茶会事件が起こる。
この事件で
アメリカがコーヒーを好きに
なったように
その国の文化には
あらゆるストーリーが
あると思います。
今からできることとして
イギリスはなぜ紅茶が好きなのか?
を調べて見てください。
ストーリーが面白いと思えると
世界史への意欲があがり
テストで高得点をとることが
できると思います!
ぜひ試して見てください!
では!
その美しさは罪か!?殷王朝を滅亡へと導く陽気な悪女【妲己】
どうも、ノスケです!
似たような用語でややこしい。
覚えづらい。
世界史に対してこんなふうに
思ったことはないですか?
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
せっかく勉強したのに身につかない
という最悪な未来になるかもしれません
このブログでは
世界史をプラスイメージ
で勉強できるように
世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
今回は傾国の美女とも呼ばれる
中国三大悪女の1人【妲己】について
紹介していきます。
紀元前11世紀頃に
中国は殷王朝が栄えていました
殷の第30代の帝辛【ていしん】は
文武両道で麗しい容姿でした。
しかし帝辛はかなりの
切れ者だったため
自分の部下が無能に見えて
仕方なかったんですね。
そこからどんどん
暴君化が始まり
彼の周りにはイエスマンばかり
集まるようになります。
そんな中帝辛は
1人の美女と出会います!
その美女の名前は
【妲己】(だっき)
といいました。
帝辛は美しく無邪気で
楽しみを考え出すのがうまい
妲己に惚れ込んでしまいます!!
ここから帝辛と妲己の
イチャイチャラブストーリーが
始まるわけですが、
その内容が異常かつ残虐なものです。
デートその1
「酒池肉林」の乱痴気騒ぎ
ある日妲己は帝辛に
『この王宮に桃源郷をつくりたいわ』
と提案します。
帝辛は『そりゃ楽しそうだ!』と
早速臣下に命じて
広い庭に離宮を造らせました。
そこは森の木には「干し肉」が
吊られており、池の水は
全て酒に入れ替えられている
場所でした。
そして、若く美しく男女を
この地に呼び、全裸にさせ
宴を始めます!
裸で酒の池を泳いだり
木の周りで鬼ごっこをしたり
疲れると干し肉を食べたりするなど
もうやりたい放題です!!
この贅沢で破廉恥な
乱痴気騒ぎは何日間も
続きました。
この時に妲己と帝辛が
開いた宴会は「酒池肉林」
という四字熟語として
今も伝えられています。
デートその2
「火あぶりの刑」鑑賞
ある日妲己は「火あぶりの刑」を
見てみたいと言い帝辛に
おねだりします。
帝辛はかわいい妲己のためなら
と張り切って用意をします!
そして生まれたのが
「炮烙(ほうらく)の刑」です。
どういうものかというと...
銅製の丸い柱を横に倒し
そこに油をまきます。
そして、その下にまきをくべて
燃やすします。
そうすると、
下の火にあぶられた
銅製の柱はどんどん熱くなりますよね。
そして
その柱の上を罪人に
歩かせるというものです。
これは正式な刑罰であり
銅製の柱を渡りきることが
できれば免罪とされました。
まぁ油でツルツルで熱々の
綱渡りとか誰も助からないですよね...
帝辛と妲己は「炮烙の刑」が
執行される日には、
2人で仲良く鑑賞デートをしました!
デートその3
「蟇盆(たいぼん)の刑」鑑賞
「蟇盆(たいぼん)の刑」は
罪人用の刑の1つで妲己が
考えたとされています。
その内容は
人民1人ずつに蛇やさそりを
持ってこさせ、地面に掘った穴に
それら数1000匹を入れるというものです。
そして罪人をその穴に
投げ落とすというものです。
考えただけでも身の毛がよだつ...。
恐怖でひきつる
罪人の顔を見ながら
妲己と帝辛は抱き合い
大笑いしたみたいですね。
こんな無茶苦茶なことをしている
妲己と帝辛ですが
当時の一般国民には「人権」という
概念がありません。
なので、妲己と帝辛には罪悪感は
あまりなく現代のちょうど
ホラー映画を見る感覚に
近かったのかもしれません。
まとめると
酒池肉林の桃源郷
炮烙の刑
蟇盆の刑
【世界史】合格倍率は3000倍!?世界一難しい中国の試験!
どうも、ノスケです!
用語を覚えるのがめんどくさい。
範囲が広すぎてやる気が出ない。
こんなふうに
世界史の勉強していると
思うことがあると思います。
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
せっかく勉強したのに身につかない
という最悪な未来になるかもしれません
このブログでは
世界史をプラスイメージ
で勉強できるように
世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
今回は【中国の科挙】について
解説していきます。
中国では官僚登用の制度として、
1905年まで【科挙】と言う
試験制度がありました。
科挙の制度は
3年に一度中国全土から
詩歌に優れた人物を約30名ほど
試験により合格させる制度です。
受験資格の年齢制限はないですが
基本的には女性や商人、前科者は
受験資格がありません。
科挙に合格した人を
「進士」と呼ばれます。
科挙は倍率が非常に高いことで
有名です。
日本の司法試験よりも
はるかに難しく
清の時代の合格倍率はなんと
約3000倍
だったそうです!
約3000倍...
聞くだけで
心が折れそうな倍率ですね...
科挙の難易度が
非常に高い理由には
その試験内容にあります。
試験内容は
主に儒教の基本である
「四書五経」
から出題されます。
これに答えるためには
膨大な量の「四書五経」を、
完全に暗記する必要がありました。
それだけではありません!
詩作や文字の美しさ
方言のない言葉が喋れるかなど
さまざまな技能まで試験で
要求されます!
このような試験内容のため
プレッシャーや過度な勉強に
耐えられず
発狂する受験者や
自殺をしてしまう受験者まで
いたそうです...
ただ!合格すれば
強力な権力と
富・地位・名誉などが
保証されているのです!
そのため
試験のカンニングが横行します
驚くべきなのは
そのカンニング方法です。
極小の豆本や
文字をびっしりと書いた
カンニング用の下着など
使用したことです!
https://twitter.com/dendendesign/status/1167386542928609281?s=46&t=wVObsS3XZ1XYbT-Gt220Hw
この過酷な試験【科挙】によって
中国では、
【五十少進士】という
ことわざが生まれるほどでした。
『五十歳で進士になるのは若い方だ』
という意味らしいですね。
今回のまとめとして
・科挙の倍率の高さは試験内容よるもの。
・合格のため多様なカンニングが
横行していた。
今からできることとして
中国のことわざについて
調べることです!
中国のことわざは
史実に基づいて
生まれたものも
たくさんあります!
面白いことわざを
見つけることで
世界史に対する興味を
持つことができること
間違いなしです!!
興味を持つことは
自然と勉強がはかどり
得点アップに
繋がると思います!
世界史のテストで
高得点を取るために
ぜひ中国のことわざを
調べてみてください!
では!
今日もマリア像が涙を流す。世界各地で起きる奇跡!
どうも!ノスケです。
用語を覚えるのがしんどい。
世界史の勉強が面白くない。
世界史を勉強していると
こんなふうに思ったことはないですか?
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
せっかく勉強したのに身につかない
という最悪な未来になるかもしれません
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世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
今回は【聖母マリア】について
ちょっとした小話を
紹介していきます。
みなさんご存知の
その始祖のイエスの母である
聖母マリアには
具体的な奇跡が起きています!
例えば、マリア像が涙を流す
というのが世界各地で見られる
現象だということです。
具体的にどういった例が
あるかを紹介する前に
聖母マリアについて軽く
復習します。
ナザレでダヴィデ王の血を
引く父・ヨアキムと
母・アンナのもとに誕生します。
14歳の頃になると
ナザレの大工ヨセフと婚約します
こちらは諸説ありますが
大工ヨセフと聖母マリアには
かなりの年の差があったとか…。
それでも婚約したのは
神の意思によるものです。
そして婚約してから
ある日、大天使ガブリエルが
マリアの前に現れ
神の子を身ごもることを宣言します。
このことを【受胎告知】といい、
マリアは処女のまま身ごもって
12月25日にイエスを出産します。
突然妊娠したマリアに
夫ヨセフは驚き、別れようと
しますが神の意思だと聞くと
納得したみたいですね。
そしてマリアはイエスの昇天後
その使徒とともに精霊の教えを
広める活動をしていきます。
カトリックでは
聖母マリアは人間でありながら
もっとも神に近い特別な存在
と考えられています。
この考えからすると
奇蹟が起きても
おかしくないですね!!
それでは
さっそく事例を見ていきましょう!
秋田県添川湯沢台にある
「秋田の聖母像」が涙を流しました。
このマリア像は
彫刻家・若狭三郎氏によって
1963年に彫られたものです。
台座も含めて
高さ約1.2メートルの
木彫りのマリア象が
涙を流し始めたのは
1975年に1月4日の朝だという。
1981年9月15日までの間に
101回も涙を流し続けたようだ。
そして
両法医学教室で鑑定したところ…
【ヒトの体液】で
あると判定されたという。
ひぇっ神聖のような
怖いようなお話ですね…
他にもカトリック教会の
調査の結果、奇蹟と認定された
事例は60を超えているそうです!
今回のポイントは
・聖母マリアは神の意思によって
イエスを出産する。
神に近い特別な存在だと考えている。
今からできることとして
検索してみてください。
聖母マリアにまつわる奇蹟を
知ることができます。
世界史のテストの点数を
伸ばす方法のひとつとして
興味を持つという方法があります!
【ルルドの聖母】を調べて
興味を持つことで
テストの点数をあげましょう!
ぜひ試して見てください
では!
【世界史】最悪の謝罪!極寒の中3日間放置されても謝らければならなかった訳とは??
どうも!ノスケです。
世界史が苦手な人は
勉強する中で
こう思ったことはありませんか?
外国の昔のことを
勉強して何の意味があるんだろう?
世界史が苦手な理由は
おそらく世界史に
興味が持てないからでしょう。
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
せっかく勉強したのに身につかない
という最悪な未来になるかもしれません
このブログでは
世界史をプラスイメージ
で勉強できるように
世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
ぜひ
楽しみながら
学んでいってください。
今回は
【カノッサの屈辱】について
解説していきます。
ローマ教皇の権威を
象徴する事件として
よく教科書に書かれています。
簡単にいうと
という人がいて
その二人が大喧嘩して、
屈辱的な謝罪をした事件の
ことをいいます!
この事件の始まりは
教会の叙任権をめぐる
争いからです。
叙任権とは
キリスト教会における
司教や修道院長など聖職者を
任命する権限のことです。
自分の権力を拡大するため、
自分の言うことを聞く人物を
司教や大司教に
次々と任命していくようになります。
なんでも思い通りに!!
とてもハッピーですね!
これにグレゴリウス7世は異を唱え、
1076年に皇帝の破門と
皇帝権の剥奪をほのめかします。
しかし、これがハインリヒ4世の
逆鱗に触れ
独自の会議を開いて教皇の廃位を
宣言してしまいます。
すると、グレゴリウス7世も
皇帝の破門と皇帝権の剥奪を
宣言します。
破門というのは、
キリスト教徒じゃなくなることで、
キリスト教徒からすると
最悪のことです。
当然ハインリヒ4世の地位は
失ってしまい、
味方だった諸侯達も次々と
グレゴリウス7世に寝返ります。
いよいよ手詰まりに
なったハインリヒ4世は
謝罪するしかなくなり、
カノッサ城に向かいます。
真冬のアルプス山脈を越え
カノッサ城についたのはいいが、
城門は閉じたまま、
なかなかグレゴリウス7世は出てきません。
ハインリヒ4世は雪の降る中、
3日間も裸足で土下座をして、
食事も摂らず会ってくれるのを
待つしかなかったんです。
雪山で3日間とか
とんでもないですよね……。
結局、
喧嘩の仲裁に入ってくれた人
のおかげで謝罪することができ
破門を逃れました。
皇帝とも思えぬ恥ずかしい姿を
晒すことになったから
【カノッサの屈辱】
という名前が着いたんですね!
尚、カノッサというのは地名
で1077年に起きた事件です!
今回のポイント
・叙任権をめぐって起きた事件
今からできることとして
今回のポイントである
二人の名前と【カノッサの屈辱】
を紙に書いてみることです。
紙に書くだけでも
記憶の定着率が全然違います!
ぜひテストで
高得点を取るために
試して見てください!
では!