【世界史】最悪の謝罪!極寒の中3日間放置されても謝らければならなかった訳とは??
どうも!ノスケです。
世界史が苦手な人は
勉強する中で
こう思ったことはありませんか?
外国の昔のことを
勉強して何の意味があるんだろう?
世界史が苦手な理由は
おそらく世界史に
興味が持てないからでしょう。
このように世界史に
マイナスイメージを
もっていると
勉強するのが辛いし
せっかく勉強したのに身につかない
という最悪な未来になるかもしれません
このブログでは
世界史をプラスイメージ
で勉強できるように
世界史について
【現代にも通じること】
や【意外な事実】などを
わかりやすく解説していきます。
ぜひ
楽しみながら
学んでいってください。
今回は
【カノッサの屈辱】について
解説していきます。
ローマ教皇の権威を
象徴する事件として
よく教科書に書かれています。
簡単にいうと
という人がいて
その二人が大喧嘩して、
屈辱的な謝罪をした事件の
ことをいいます!
この事件の始まりは
教会の叙任権をめぐる
争いからです。
叙任権とは
キリスト教会における
司教や修道院長など聖職者を
任命する権限のことです。
自分の権力を拡大するため、
自分の言うことを聞く人物を
司教や大司教に
次々と任命していくようになります。
なんでも思い通りに!!
とてもハッピーですね!
これにグレゴリウス7世は異を唱え、
1076年に皇帝の破門と
皇帝権の剥奪をほのめかします。
しかし、これがハインリヒ4世の
逆鱗に触れ
独自の会議を開いて教皇の廃位を
宣言してしまいます。
すると、グレゴリウス7世も
皇帝の破門と皇帝権の剥奪を
宣言します。
破門というのは、
キリスト教徒じゃなくなることで、
キリスト教徒からすると
最悪のことです。
当然ハインリヒ4世の地位は
失ってしまい、
味方だった諸侯達も次々と
グレゴリウス7世に寝返ります。
いよいよ手詰まりに
なったハインリヒ4世は
謝罪するしかなくなり、
カノッサ城に向かいます。
真冬のアルプス山脈を越え
カノッサ城についたのはいいが、
城門は閉じたまま、
なかなかグレゴリウス7世は出てきません。
ハインリヒ4世は雪の降る中、
3日間も裸足で土下座をして、
食事も摂らず会ってくれるのを
待つしかなかったんです。
雪山で3日間とか
とんでもないですよね……。
結局、
喧嘩の仲裁に入ってくれた人
のおかげで謝罪することができ
破門を逃れました。
皇帝とも思えぬ恥ずかしい姿を
晒すことになったから
【カノッサの屈辱】
という名前が着いたんですね!
尚、カノッサというのは地名
で1077年に起きた事件です!
今回のポイント
・叙任権をめぐって起きた事件
今からできることとして
今回のポイントである
二人の名前と【カノッサの屈辱】
を紙に書いてみることです。
紙に書くだけでも
記憶の定着率が全然違います!
ぜひテストで
高得点を取るために
試して見てください!
では!